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加速するフードテックの潮流―食のDXが変える管理栄養士・栄養士の未来とは―
2022.05.13
コラム
投稿者:川野 茉莉子
今回は、フードテックにおけるキーテクノロジーともされる「3Dフードプリンター」を活用した未来の食の可能性について考えたいと思います。
3Dフードプリンターとは、ペースト状の食材を素に、あらかじめ機械に設定した形状や食感をもつ立体物をプリントする技術です。3Dフードプリンターを用いることで、人の手では再現が難しい複雑で装飾性の高い食品を造形することが可能です。海外では、3Dプリントされた料理を提供する先進的なレストランも現れています。
3Dフードプリンターには、①形状・食感・素材に対する「柔軟性」、②データに基づく「再現性」、③個人のデータに合わせて最適な栄養・食感・香り・色を調整する「カスタマイズ」、④サプライチェーンにとらわれず必要な時に必要なものを必要な場所でつくる「オンデマンド」といった特徴が挙げられます。
これらの特徴を活かし、3Dフードプリンターは、単なる装飾性の高い食品の造形にとどまらず、個人の嗜好や食のニーズ、健康状態やライフスタイルに応じた「食のパーソナライズ化」を提供することが可能と期待されています。
3Dフードプリンターの活用で期待される分野の一つが、介護食です。国内の3Dプリンターの研究開発を牽引する山形大学では、柔らかい素材を出力できる3Dゲルプリンターを世界に先駆けて開発しており、米由来のゲルなどを原材料とした介護食への応用に関する研究が2019年から進められています。
従来の介護食は、咀嚼力の低下した方には「きざみ食」、嚥下の困難な方には「ミキサー食」といったように、個人の咀嚼・嚥下の機能に合わせた形態で提供されていますが、ムース状やペースト状になってしまうと、健康な人向けの「通常食」と比較すると見た目から食べる楽しみを感じることが難しく、食欲不振につながることもみられます。また、介護者にとっても、要介護者の機能や栄養バランスに合わせ、個別に準備することが必要で、手間と時間、費用が掛かることも課題とされています。
そこで、山形大学の川上勝准教授の研究室では、3Dフードプリンターを用いて食感や見た目が元の食品に近い介護食を作ることを目指しています。写真のニンジンのように、介護食としての食べやすさを維持しながら、食欲をそそる形を再現することが可能です。
将来的に、介護施設や家庭に3Dフードプリンターが普及すれば、高齢者の機能や嗜好に合わせ、カスタマイズされた見た目にもおいしい介護食が提供できるようになり、単なる栄養摂取にとどまらず、食を通じた精神的な満足が得られ、高齢者のQOL(生活の質)向上に貢献するものと期待されています。
さらに、3Dフードプリンターが調理を担うようになれば、介護施設や病院における調理師の人材不足や人件費といった課題解決にもつながります。
出所:山形大学ウェブマガジン ひととひと「研究する人#20 川上勝 3Dプリンタで介護食革命、『食べる』を楽しく、介護を楽に」(2019年7月15日)
3Dフードプリンターの特徴の一つであるカスタマイズ性は、病院食へも応用の可能性を秘めています。3Dフードプリンターでは、材料となる「食品インク」を複数準備しておくことで、食品の形状や硬さを調整するだけでなく、一食毎に栄養素やビタミン、カロリーなどを正確に計算し、最適化することが可能となります。そのため、今後は食事制限が必要な患者を抱える病院や家庭に導入されれば、患者の健康データや嗜好に合わせて食事のカスタマイズが可能になると期待されています。
さらに、こうした「パーソナライズ化された食」は、高齢者や病気を患っている方にとどまらず、健康な消費者の間でも急速に需要が高まっています。近年の健康意識の高まりに加え、アレルギー対応やベジタリアン・ヴィーガンといった食習慣の違い、宗教上の理由による食材制限など、多様化する食へのニーズや価値観、ライフスタイルに合わせ、一人ひとりに合った食事の提供が求められるようになっているのです。そして3Dフードプリンターは、そうした食品の製造・調理に大きく寄与するものと期待されています。
今後の3Dフードプリンターの普及に向けた課題の一つに、原材料となる食品インクの開発があります。現在、大学などの研究機関では食材の粘性制御や、脱水・固化を促進するなどの研究開発が進められています。今後、食品インクの多様化、商品化に向けては、介護食・離乳食など調理形態の違いや食材の物理特性、含まれる栄養素など、管理栄養士・栄養士が有する専門知識が求められるといえます。
さらに、今後の3Dフードプリンターの普及とともに、管理栄養士らには、個人の健康データ(体重、体脂肪率、血圧、血糖値など)や嗜好、咀嚼・嚥下機能などに合わせた最適な栄養バランスの献立の作成に加えて、3Dフードプリンターを用いた食品の形作りや食品の柔らかさの調整、複数の食品インクを組み合わせることで複雑な食感を再現するなど、新たな調理・加工技術の習得が必要とされるかもしれません。そして、管理栄養士らによる3Dフードプリンターを活用した調理レシピ開発が、一般家庭への普及のカギを握るといえます。
出所:山形大学 宮瑾ら「未来の食事を3Dプリンタでつくる―食品3DプリンタE-CHEF活用で、見た目も美しいゼリー食品の開発へ」(2015年)
最後に、3Dフードプリンターが作り出す新たな食の可能性についてもご紹介します。3Dフードプリンターは、植物肉や培養肉(豚や牛などの動物細胞を培養して作られる肉)といった代替タンパク質や宇宙食など、新たな食技術との相性が高く、食品・外食業界に限らず、介護、医療、宇宙など幅広い分野で用いられ、革新的な食のイノベーションを生み出すと期待されます。
大阪大学と島津製作所らは、3Dフードプリンターを用いて培養肉を自動生産する装置の開発に取り組んでおり、2025年に開催予定の大阪・関西万博での提供を目指すとしています。農林水産省でも万博に向け、農林水産・食品分野への今後の実装が期待される先端技術の一つとして3Dフードプリンターの事業推進に取り組んでいます。
3Dフードプリンターで生みだされる未来の食を手に取ることができる日は、そう遠くないのかもしれません。
川野茉莉子
株式会社 東レ経営研究所
産業経済調査部 シニアアナリスト
2008年京都大学大学院農学研究科修士課程修了後、東レ株式会社入社。2015年東レ経営研究所へ出向。2022年4月より現職。日本証券アナリスト協会認定アナリスト(CMA)。
調査・専門分野はフードテック、サーキュラーエコノミー、サステナビリティ。
2022年2月、京都大学ELP(エグゼクティブ・リーダーシップ・プログラム)短期集中講座「食と農」に登壇。
主なレポートに「フードテックが生み出すバイオエコノミーの新潮流」「加速する食のDX:フードテック~3Dフードプリンタ―が変える食の未来~」「期待が集まるスマート農業の新展開~増加する企業の農業参入とビジネス展望~」「サーキュラー・エコノミー時代のビジネス戦略」など。