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豊かさは、日常を過ごせること

前回までは、給食がおいしく安全であることや、学校生活に密着して楽しめる給食、
「生きた教材」として本物と出会える食育についてお伝えしました。
社会・文化・環境など、広く生活につながる食育や体験、そして豊かさについての思いをお伝えできればと思います。

和食を伝える

何年経験を積んでも「食」に関して知らなかったことや感動すること、そして取り組まなければならないことが出てきます。中でも、私自身が好きで特に奥深さを感じ惹かれ、一方では日常的な存在が「和食」でした。しかし和食って何かと問われたら、なかなか難しいのです。その様な中、2013年に「和食」のユネスコ無形文化遺産登録は、和食を改めて見つめ直し考える機会となりました。
もちろん子どもたちを視野に入れると、本物を体験でき、また私自身が感動したり、日常的に接していたことでないと伝えられません。幸い小平第六小学校では、棚田・田んぼを作れただけでなく、もともと和室がありました。これだけで伝わるほど「和食」の魅力は狭くありませんが、和室でクラス単位の給食を楽しみながら、稲作から、ご飯・味噌汁・一汁三菜・醤油・だし・煮物・食器や料理の盛り付け、しつらいの美しさなど、機会を積み重ねて改めて和食を伝えようと考えました。

和食器でたべる給食

そんな時、月刊「学校給食」の出前授業に関する特集で一緒に掲載された縁から、食器メーカーの三信化工(株)さんと出会いました。当時、和食とは全く違う環境教育の授業を実施することとなったのですが、別件として、とある提案がされました。
打ち合わせが終わった時、「この茶碗給食で使えませんか」、差し出された食器が、一つのお茶碗でした。四季を表現されたすっきりとした器でした。私は、「えっ!」と感激。瞬時に使えますと答えました。私が和食器を探していたことを知っていたのですか?と言いたくなるような瞬間でした。鳥肌がたちました。そこから和室で使える焼き物皿や和え物皿などなどイメージに合った器を探していただくことができ、給食で和室と和食器を体験し、和食や文化を伝える機会が積み重なりました。

環境問題を考える、生きた教材、生きた実践

食育を文化からさらに社会へ広く目をむけると、SDGsや環境問題・食品ロスなど、子どもたちの学習が広がり、私たちも改めて見直す機会ともなります。それまでも、給食指導の中で食べ残さないようにする指導や、食べ残しが出ないような献立を考えてきましたが、もっと広げた視点で取り組んだのが、災害時用の食品の食品ロスです。
災害は無い方がいいに決まっていますが、安全に過ごせた時には、食品である以上、定期的に入れ替えをせざるを得ません。この時、賞味期限前の備蓄食品は、そのままでも食べられますが、他の料理にリメイクした方がおいしく食べられる食品もあります。調理師さんと話し合い、試作しながら給食への提供になりました。また、小平市内の学校栄養職員も集まり、子どもへの伝え方の研究と多くのメニューも試作し検討されました。
実際に食べることは、受動的な学習に留まらず、食品ロス削減を自ら行う「本物の環境活動」となります。また備蓄食品の体験は、災害時の一端を想像し、また日常を考える「生きた教材」にもなりえます。

非常時に思う、学校給食

今さらですが私は、子どもたちが学校に登校して学習する状況があるならば、お昼ごはんを保証していたいと常々考えてきました。お昼ご飯を食べられることが当然であることで、子どもたちは安心して運動や学習に向かい合えるのだと感じています。日常を続けられることが、豊かさだと思うのです。ですから、コロナに直面する現在、子どもにとっての給食を考えると、もやもやしてしまうのです。
10年前3.11東日本の災害の時、東京も大きく影響を受けました。原発の影響で使える食材の地域が限られてしまったことや、物流がコンスタントに動かない中、食材確保の問題がありました。また、計画停電もありました。電灯がつかなくなるかもしれないし、機械も動かなくなってしまう。すると電気だけでなく、ガスが元栓から一旦遮断され、水道管に直付けされない水道も学内のポンプとともに止まります(現在では3.11を踏まえ、給食室の水道は直結となります)。しかしそれでも、子どもたちの登校は決まっていたのです。給食を続けることは難しいと判断した地区は多く、ほとんどの学校では、3月いっぱいの給食を中止し、午前のみの登校でした。

少しでも日常を、3.11の中で

しかし私は、校長先生や市の教育委員会の担当の方と何度も話をして、小平市の給食は止めませんでした。当時、スーパーは品薄、物資は不安定で、各家庭では子どもたちも何となく不安を感じての生活。学校に来ない時間の過ごし方も心配です。給食があって昼をすごせれば午後の授業が出来る、子どもたちには学校にいる間は安心して過ごしてほしいという思いが強くありました。
3.11直後の2日間、学校は休校でしたが、その間に多くの議論が行われました。給食の継続は、校長会により検討され、市全体での判断となります。当時私の上司の校長は市内校長会の会長でした。給食をどうするか、臨時校長会で最終判断が決定される当日、「白井さん本当に大丈夫だな、給食は止めないぞ」と確認されました。栄養教諭として市の栄養士会をまとめる立場でしたが、私には全く迷いはありませんでした。
「子どもたちがいる限り食べさせます」、多くの課題に対し、流通の問題では産地の入れ替えなどで対応しました。幸い小平市は契約している牛乳屋さんが供給できると約束も得られていたので、できる手応えも感じていました。計画停電に関しては、対応策を栄養士・調理員と話し合い、ガス復旧の段取りや、調理時間・工程の検討などで、解決方法を探りながら進めるということになりました。結果的にはですが、やってみたら想像より問題なく乗り越えられましたが、当時は、どんな障害が生じるか予断の出来ない中での取り組みでした。小平市では、3.11のあった3月、メニューを変更することなく給食を提供しました(画像、献立表の再現)。

コロナの中で

退職を目前にしてのコロナ発生、3月1日から休校で子どもたちが学校に来ない状態になってしまいました。果たして子どもたちは家庭で食べることを楽しんでいられるのだろうか、学童保育で昼ご飯は提供できないだろうか。収束するのか長期化するのか予想が付かないコロナに対し、もやもやとしている間に時間が過ぎました。振り返ると何も出来なかったなと力の無さを感じさせられました。そして退職後になっても、いつ明けるのか分からないコロナの中、給食は再開しました。子どもたちの、あたりまえな日常を絶やさないため何が出来るだろうか、家庭向けにはどんな働きかけが出来るだろうか、いつも楽しい給食であるのだろうか。
もし現職であれば何ができたのか・・・。
今、現場を退いた自分に何ができるのか・・・。
もやもやは今も続きます。

豊かさ、安心して日常を続けられること

常に課題や悩み、時にはもやもやもありますが、それは常に大切だからです。なんと言っても自分の食べたものが自分の体を作っている「食」、生涯必要なことだからです。
「食」はすばらしいものだといつも感じています。あの小さな種が成長して様々な形に実り美味しく食べることが出来る。また、それは自然と人の手によって不思議な形に変化し違う食べ物になっていく。食べ物を囲むと、とても穏やかに自然に人との関わりが出来ていく。それらが重なって安心して過ごせること、日常を続けられることが豊かさだと思います。
こんなすばらしい仕事に関わっていることは素敵なことです。皆さんも食と関わりお仕事を楽しんで過ごせることを祈っております。
4ヶ月間ありがとうございました。

 

 

白井ひで子

東京家政学院 特別非常勤講師 兼 三信化工 食育アドバイザー

1976年2月  東京都教育委員会入庁 学校栄養職員として勤務
2009年4月  小平市立小平第六小学校 栄養教諭として勤務
2019年11月  文部科学省学校給食功労者表彰
元 女子栄養大学 特別非常勤講師
元 愛国短期大学 特別非常勤講師

現在 東京家政学院 特別非常勤講師
三信化工 食育アドバイザー

執筆
たべもの食育図鑑,共著、群羊社
はじめての食育授業(小学校),共著,群羊社
早わかり食育図鑑(野菜編),共著,群羊社
早わかり食育図鑑(肉・魚編),共著,群羊社

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