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管理栄養士・栄養士の現状と未来像~4) ウェルビーイングな社会の到来と管理栄養士・栄養士の業務

1.ウェルビーイングと健康寿命の延伸

ウェルビーイング(Well-being)とは、well(よい)とbeing(状態)からなる言葉で、WHOの定義によると「ウェルビーイングとは個人や社会がよい状態にあること。健康と同じように日常生活の一要素であり、社会的、経済的、環境的な状況によって決定される」とされている。一方、近年、我が国は長寿社会に突入し、その対応として健康寿命の延伸が叫ばれている。そこで、今回は、現在進められている健康寿命の延伸とウェルビーイング社会の創造について考察した。
高齢社会の到来に関しては、先進諸国では2007年以降に生まれた2人に1人が103歳まで生きることができ、そのときの日本人の平均寿命は107歳になると推測されている。いよいよ、人生100年時代を迎える。誰もが長生きできる社会の到来は人類の最大の夢であり、実現できればうれしい限りである。しかし、高齢者はどうすればウェルビーイングでいられるかという問題が出てくる。「年金はもつのか? 食料や経済は大丈夫か? 介護は?」など、あげればきりがない。
解決のヒントは、WHOの革新的報告書「高齢化と健康に関するワールド・レポート (World Report on Ageing and Health 2015)」にある。この報告書は、近年の膨大なデーターをもとにまとめられたもので、次のことが指摘されている。
「高齢者は、依存者ではない」
「高齢化は、医療費の増加をもたらすが、予想するほど高くはならない」
「高齢者は、昔話ばかりではなく、未来に展望を持ち、未来を語ること」
「高齢者への支出は、負担費用ではなく投資と考える」
「高齢者の社会貢献が過小に評価されている」
「コスト削減の努力と同時に高齢者を支える政策にもっと投資すべきである」
つまり、高齢者をご隠居さん扱いするのではなく、もっと健康的でウェルビーイングにして、社会で活躍してもらおうというのである。高齢者は、確かに種々の身体能力の喪失や低下が起こり、高血圧症、糖尿病、心臓病、腎臓病等の非感染性疾患(NCDs)を抱えて、死に至るリスクも高くなる。しかし、このような状況下でも、病気の治療や増悪化防止に専念しながら、残されている心身の機能を活用して、自立した日常生活を営めば、幸福な人生を送ることができる。
例えば、左手を失えば、失ったことをいつまでも悔やむのではなく、残された右手の機能を高め、最先端技術で左手の義手を作り、障害があっても普通に生活ができる社会環境を整備すれば、より充実した人生が送れる社会が創造でき、ウェルビーイングが維持できる。
健康寿命の延伸とは、従来のような病気の発症予防を目指した「健康づくり」の健康ではなく、心身に障害が出たとしても、心身の機能強化を図り、自立した生活ができる寿命を延ばすことを目指している。パラリンピック選手、芸術活動に励む障害者、さらに糖尿病、心臓病、腎臓病等の病気を持ちながら仕事や家事に頑張り、いつまでも明日がよくなることが信じて生きる社会づくりを目指そうとしているのである。

2.高齢者の低栄養

加齢に伴い全身の機能は低下し、身体的、精神的、かつ環境への適応能力が減退する。例えば、身体的には、身長、体重の減少、歯牙の脱落が起こり、動作が緩慢で不安定となり、筋力、持久力は低下する。筋肉が減少し、水分貯蔵の減退により脱水を起こし、骨量の減少により骨粗鬆症になりやすくなる。循環機能である心拍出量が低下し、血管内腔の狭窄や末梢血管抵抗の増大が起こり、肺の萎縮や弾力性の低下も起こる。消化機能では、口腔の乾燥、唾液、胃液、胆汁、膵液などの分泌量が減少し、咀嚼機能の低下、嚥下反射の低下、食道の蠕動運動の収縮力の低下、さらに腸の蠕動運動の低下が起こることから、消化・吸収機能は全体的に低下する。また、舌乳頭や味蕾の数の減少、味細胞機能の減退などにより味覚の低下が起こり、舌や口腔粘膜の温度覚、触圧覚の減退により嗜好の変化も観察されている。
高齢者は、このような生理的変化に、薬の増加による味覚変化、唾液の減少、消化酵素活性の低下等が重なり、食事全体の摂取量が減少する。さらに食事の内容も、肉料理から魚介類や野菜を材料にしたあっさりした料理に変化し、結果的に油脂類、肉類、牛乳・乳製品、卵類の摂取量が減少する。つまり、低栄養になりやすい状況ができあがるのである。食事の摂取量が減少すると、体重が減少し、特に除脂肪体重(LBM:lean body mass)が減少しやすく、筋量と細胞内水分が減少する。筋力が低下すると活動性が低下して運動量が減少する。運動量が減少すると食欲が低下すると同時に、筋肉量が減少して基礎代謝の低下が起こり、消費エネルギー量が減少する。すると、さらに食事の摂取量が減少するので負のスパイラルが起こってくる。低栄養により、活力が低下し、疲労感が増大して、生活の質(QOL)は低下することになる。

 重要なのはギアチェンジ

高齢者に起こる低栄養により、やせ、エネルギー・タンパク質欠乏症、サルコペニア、鉄欠乏性貧血、カルシウム不足による骨粗鬆症等の栄養欠乏症の発症リスクが高くなる。また、このような栄養欠乏症という病気に至らなくても、何となく元気がない、疲れやすい、根気がない、やる気が起こらない、何をするにも面倒になる等、不定愁訴が多くなり、ウェルビーイングは崩壊する。
多くの日本人は、貝原益軒の「養生訓」の影響もあり、「腹八分目食」が健康長寿に有効だと信じている。確かに、エネルギー制限食は、中高年のメタボ対策には、過食を戒め、体脂肪、血漿中性脂肪・コレステロール、血糖、さらに血圧の上昇を抑制し、高値を低下させるために健康的な食事になる。
しかし、過食や肥満がない場合、各種の栄養素が不足して低栄養になりやすい高齢者には、「腹八分食」はリスクの高い食事になる。近年、心配されているのは、中高年期に取り組んだメタボ対策から、高齢期のフレイル対策へのギアチェンジが十分に行われていないことである。いつ、どのようにギアチェンジするのか? これに答えられるのが管理栄養士・栄養士であり、その役割は大きい。

 

中村丁次(なかむら ていじ)

一般財団法人 日本栄養実践科学戦略機構 代表理事理事長

1972年徳島大学医学部卒業。新宿医院、聖マリアンナ医科大学病院で臨床栄養を実践。1978年より東京大学医学部に研究生として在籍し、1985年に博士号を取得。学位論文のテーマは「健常過体重者の摂食行動と身体活動状況に関する研究」。

2003年神奈川県立保健福祉大学教授に就任。栄養学科長、学部長を経て、2011年から20233月まで学長を務め、20234月より神奈川県立保健福祉大学名誉学長。

2008年第15回国際栄養士会議(ICD2008)組織委員長、2022年第8回アジア栄養士会議(ACD2022)組織委員長。

100年にわたる日本の栄養政策の歴史の後半部分に直接関わってきた功績は、「東京栄養サミット2021」の冒頭で行われた岸田首相(当時)のスピーチでも紹介された。国際的にも栄養学の第一人者として広く知られている。著書の『臨床栄養学者中村丁次が紐解くジャパン・ニュートリション』(第一出版)は、英語版と中国語版が相次いで出版され、全世界で読まれている。

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